手術当日

●13日

6時前

二回目の浣腸。 また強烈な頭痛・・・。もう出てくるものは無いと思ったけど、若干の便。

 

 

しばらく頭痛に耐えながら寝ていると、母がやって来る。頭が痛くてあまり寝られなかったことを伝えて、ぎりぎりまで横になっていると伝える。朝食はもちろん食べることはできない。

 

 

8時半頃、看護師さんに起こされる。

 

 

4階にある手術室まで自力で歩いて向かう。とくにおしっこの管などが付けられるわけでもなく、普通の姿で手術室に向かう。

 

エレベーターが開くとすぐ右に手術室とかかれた自動ドア。ここから先は母は一緒に入ることはできないそう。一足先に私と同じように入っていくおじさんも家族に手を振っている。私も母に手を振った。

 

 

一つ目の自動ドアの先にはもう一つの自動ドアがあって、待機するイスがあった。そこへ座るよう促される。横には先ほどのおじさん。2人そろって手術の時に頭にかぶるものを渡される。

 

 

おじさんが担当の看護師さんに、「緊張しますね~」と声かけされていたが、「いや~もうお任せしてますんで。それに2回目ですし」「ここでですか?」「いや、別のところで」と会話がはずんでいる。確かに私も100%お任せしている。ここでどんなにあがいてもどうなるものでもない。おじさんがいてくれてよかった。おじさんの言葉で私も心が落ち着いた。

 

 

おじさんが迎えに来た担当医師と一緒に第二扉の中へ入っていく。続いて、私の番。

第二扉から担当のK先生がやってくる。初日に説明があった時と同じように手術の流れを説明して一足先に中へ。

 

まだイスで待機中の私の元に、麻酔を担当する先生が何人かのメンバーを連れてやって来る。今度こそ私も第二扉の中へ。

 

 

薄暗い廊下の両脇にいくつも手術室があった。歩きながら、麻酔担当のリーダーらしき経験豊富そうな先生が、「声のことを気にされていたので、今回の麻酔は喉の奥に管を通すのはやめて通常の麻酔でいきますので」とやさしく説明してくれる。気遣ってもらえていることを感謝していると「こちらです」と手術室に到着。

 

 

まず手術台に座るよう言われ、そのまま頭を上にあおむけに寝る。そういえば昨日お昼からの下痢と、浣腸2回で、なんだかおしりの栓(そんなものないと思うけど)がゆるくなったような気がして、もし麻酔がかかり、意識がなくなった状態でこの栓がゆるんで何か出てくることがあっては申しわけないと思い、念のため確認。

 

「お腹がゆるい状態で浣腸したので、お腹がゴロゴロいっているんですが、全身麻酔で手術途中に出てきたりしないでしょうか」と聞くと、「心配いりませんよ^^」と優しく声かけしてもらう。ほっとしたところに酸素マスクがはめられた。続いて「痛いけど我慢してね」と左手甲の太い静脈に点滴用の太い針が入る。

 

 

本当に痛い!上半身が若干起き上がるほど。 ただ針が入ってしまうと、痛みはなくなって、「それでは、麻酔入れていきますからね」と声をかけられる。 

 

 

時間、8時53分。

 

 

 

 

夢を見る。

 

 

 

 

いつものように何人かで練習している。「それじゃあ、また」というような挨拶を交わしていると、

 

 

「目覚めましたか~」という声。

 

 

いっきに下腹部の痛みと尿道の気持ち悪さに、「トイレ行きたいです」という。(よく考えると行けるわけないのに)

 

  

痛い痛いと思っていると、意識が戻ったということで、手術台から可動式ベッドに「せ~の」という掛け声と共に何人かで動かされる。その振動がめちゃくちゃ痛い。

 

 

第一自動ドアの外にでる。K先生がそばに来て、小さなビンを持ち「切らずに取れましたよ~」と言ってくれた。母も「よく頑張ったね」と言ってくれる。手術時間は予定の2時間を超えて3時間30分ほどかかっていた。

 

予定時間になっても出てこないので、母はもしかすると開腹になったのかもしれないという覚悟をしていたと後で聞いた。私が麻酔から覚める間、K先生から取り出した筋腫を見せてもらっていて、本当にたくさんの筋腫だったようだ。それらを開腹せずに腹控鏡で丁寧にとってくれたK先生に感謝。

 

 

そんなことは知らない私。元の部屋まで戻るまでの移動中、あらゆる振動に堪えていた。エレベータ-に乗る時と降りる時の段差。狭い廊下を曲がったりする度になんどもする方向転換。

 

同室の妊婦さんの一人は救急車で運ばれてきたらしく、乗り心地は最悪だったといっていた。緊急を要するので、病院までどれだけ早く運んでもらえるかが最優先だが、振動などかなり辛かったとのこと。

 

 

それと同じ心境だった。看護師さんにとって手術室から患者を運ぶのは日々の出来事の一つであるかもしれないが、患者一人一人にとっては、一大事なわけで声掛けなど小さな配慮があると、また違うように思う。

 

  

戻ってきたときには部屋の皆さん昼食は終わっていて、12時半は過ぎてるのか・・・と考える。

 

 

全然息苦しくはなかったが、酸素マスクを17時まではすることになっているらしく装着。自発呼吸と相まって逆に苦しい。

 

 

朝からずっと待っていてくれた母。母もこの時あまり体調がよくない時期で、私も今日は何も話せそうにないのとじっと座っていてもらうのも申し訳なくこの日は帰ってもらうことにした。

 

 

酸素マスクがはずされるまで暑さと痛みに耐えるのかぁと思っているところへやってきたのは、手際がいいというべきか、少々手荒な看護師さん。先ほど私をベットごと運んでくれた人でもある。まずはパンツははかず、T字帯というふんどしのようなものを付けてそこに出血にそなえてナプキンを付けるという作業も、声のトーンは優しいのに、手さばきが荒い。

 

とりあえず、手術が終わった人専用のパジャマのズボンは傷の下あたりであげるのをやめてもらった。

 

 

手術が終わった。後は元気な自分を想像してこの痛みに耐えればいい。しばらくじっとして上を向いていると、色んな音が聞こえてくる&気になるもので、隣の人が使う引き出しの閉まる音。カーテンの開閉時のレールをはしる音。健康な時には気にならないような音が頭にひびく。

 

 

16時頃、回診があるとのことで、カーテンを全開にされる。

(テレビにでてくるような教授中心の大名行列のようなものを想像したけど、実際は先生方が5,6人で回診)

 

 

カーテンで隠れていた電球がまた目にとびこんでくる・・これ結構つらい。 しばらくするとS先生と、K先生が産科の先生、麻酔科の先生と研修生2,3人、入り口に近い人から順番に、状態を聞いていく。

 

 

私の番。「どう?痛くないでしょ」と聞かれたので、「痛くはないです」と答える。本当は、傷口より中(子宮)の鈍痛はあったけど・・「ないですけど、なんかある?」と笑顔で聞き返されたので、「(酸素マスク含め)暑いです」と状況を伝えてみる。

 

 

一緒に来ていた麻酔医の先生が、今回の麻酔は声帯のこともあって管を挿入せずに麻酔をしたと言うと、S先生「Kも手術の時はそうしてもらってらいい、翌日からカラオケにいけるぞ」と冗談を言って隣のおばあさんの方へ。

 

 

診察の時はとても紳士な感じだったS先生。仲間の先生方と話す時は、陽気なキャラクターなんですね。

 

 

回診も終わり、ひと段落。すると、同室の産科にかかる妊婦さんたちが先ほどの回診について話しはじめた。皆さんが今まで見てもらっていた産科の先生から、無愛想な若手の先生に診察が変わったらしく、一同に不安を口にされていた。

 

 

その理由は、内診中にエコーでお腹の様子を見ながら「(次に診る順番の)○○さん呼んどいてもらえる」と言ったり、先ほどの回診で、本人も聞いていなかった情報「彼女は後2週間ほど様子をみてから・・退院になるかそのまま入院かを決める」とS先生説明してみたり、私が手術直後の状態で聞いていてもひどい話だと共感するほど。

 

   

きわめつけは、帝王切開で生む予定の私の隣の妊婦さん。手術日程の話を先ほどの回診でS先生に「今月の18日には・・・・」と説明。「直接言われてないのに日が決まっていた」とものすごくびっくりされていた

 

   

信頼できるお医者さんとの出会いも大切であると思う。

 

 

この一件については後日談があり、一人の妊婦さんがベテランの看護師さんに不安を打ち明け、再度その医師からの説明を聞くとこを進められ、旦那さまと一緒にいったようだが、「説明がうまく伝わっていなくてすみません」という言葉もなく、ぶっきらぼうに出産までの方針を告げられたと戻ってきてから他の妊婦さんに話していた。

 

 

私たちは身体の不調や、症状のわからないことは最終的にはお医者さんに頼ることになる。横柄な態度はとても不安になることをわかってほしいと心から思う。

 

 

妊婦さんの希望は、最初に診察してもらっていた先生に出産も診てもらいたいということのようだが、異動などでそれは難しいよう。

 

私の場合も診察はS先生、手術はK先生。大学病院ではチームというのがあって、私の場合はそのチームのトップがS先生。先生の下に控えている他の先生が執刀したとしても、チームでの手術として、S先生率いる・・・と扱われるということである。普通の病院では、最初から一人の先生~手術までという流れになるんだろうけど。私はこのシステムを手術前に母の知り合いから聞いていたので、不安などもなくよかったと思う。

 

 

母の知り合いというのは、娘さんがここの付属大学を卒業し、研修医といて昨年から勤務をしている方で、その娘さんは学生時代、S先生の元で研修経験があり、今回の担当医K先生とも知り合いとのこと。手術前に先生方に私のことを少し話してくれていたようで、気遣いに感謝。

 

  

入院後、手術担当の先生がK先生と決まった時も、母経由で「K先生は若いけど、手術数も多く、今とてもノッテル先生なので、安心して」というメッセージをもらい、手術後も病室まで顔を出してくれた。

  

 

さて、21時半が過ぎ、消灯時間。

 

 

今夜は寝られないことは覚悟。痛みというより寝返りをうてないので、背中が痛いのが大きな要因。身体を横むけてもいいと言われたけど、身体を傾けるとおしっこの管が気持ち悪いというのもあって、色々自分なりに身体を動かす工夫をしてみる。

 

 

ひとつは定期的に足を曲げること。かかとと腕で下半身を持ち上げ、腰から背中にかけて空間をつくる。片方ずつひじでつっぱっって身体を浮かせ、背中部分に右と左、交互に空間をつくる。床ずれというのは、一瞬にしてなるそうで、その「一瞬」というのがどれくらいの間隔なのかがわからなかったが、必死で身体を動かしてみた。

 

 

もうひとつはエコノミー症候群を防ぐ運動。足先も動かさなければならないらしい。

ぴっちぴちの「防止用ストッキング」をはいてむくまないようにした状態で指の曲げ伸ばしをする。

 

 

普段寝ている間も知らない間に足腰を動かしていたのがよくわかる。ひざをまげて足を起こしている時は、むくみを感じないのに、伸ばしてしたまましばらくじっとしていると、少しむくんでくるように感じるからである。

 

  

一晩中、一定の間隔で、ずっとやっていた。この日の夜は本当に長かった。

 

 

よく看護師さんが天使に見えるというのを聞いたことがある。この夜、私にも天使のように見えた。話し方、接し方などトータルでこの夜の看護師さんは、パーフェクト天使。

 

 

この天使は、17時の夜勤入れ替え時にも、「今日のお部屋担当します○○です」と、私たち一人一人にあいさつしながら、症状なども聞いたりと、私が滞在した1週間の中で一番印象に残る看護師さんだった。(退院の時、窓口の意見箱に感謝の思いを投稿)

 

 

翌朝まで食べ物はもちろん一切の飲み物も禁止。点滴のせいもあって喉はほとんど渇かないのですが、唇がかっさかさ。(それでも、胃腸は、元気なようで、きゅるきゅる音をたてている。)

 

 

点滴の種類は、鎮痛用。子宮を収縮する用。それぞれでっかいサイズで交互。子宮を収縮する点滴を始めると、下腹部の鈍痛がぶり返し↗。しかも、手の傾きによって、血管の向きが変わるようで、時に「ダダダダー」と落ちだし、めちゃくちゃ痛い。

 

 

→これについては、夜の間は見えなくて、その急激な痛みの原因がわからなかったけど、朝になって点滴の様子が見えるようになってからは、自分で手首を動かして、落ちる量を調節。

 

 

おしっこの管については、翌日の午前中にトイレまで歩く練習をして、歩けたらとってもらえるとのことなので、一回で成功させることを強く誓う。

 

 

このことを考えると気持ちがまた前向きになり、身体をベッドに完全に預けてしまわず、背筋を意識してみたり、太ももからおしりにかけて力を入れてみたり、身体のあちこちに怠けないようエールをおくる。

 

 

(結果的にこの動きが功を奏したのか、翌日、ものすごくゆっくりトイレまで行って戻ってくることができ、おしっこの管を予定通りとってもらうことに)

 

 

手術した日の夜に戻る。

 

 

夜中でもぞくぞくと救急車がやってくる。家にいれば、救急車の音はやがて小さくなって聞こえなくなる。でも、今はここが到着地点なわけで、かすかに聞こえる音はどんどん大きくなってくる。救急車の到着後、しばらくして一つ上の階が手術室ということもあってか、大泣きしている声が聞こえたような気もする。

 

(ここは、救急車受け入れレベルが「3」で、かなり危険な状態の人が多く、最悪の事態になりうる確立も高いということを後で知る)

 

 

深夜すぎだったと思う。轟音が天井付近から鳴り始めた。翌日看護師さんに確認してみると、ICUの空調の音だそうで、昨日運ばれてきた患者さんの誰か、一命をとりとめた方が入ったことがうかがえた。

 

 

夜は続く。 

 

 

天井に、ブラインドの隙間から車のヘッドライトの光がうつるのをみて、今こうやって寝ているのと、遅い時間に車で帰宅するの、どっちが辛いかとまじめに考える。

 

 

ずいぶん経ったと思う。天井が少し青色がかってみえてきた。「あ~朝が近づいている」。よく、テレビ番組で今は成功したけど、どうしよもないどん底にあったとき「明けない夜はない」と奮起したという話が出てくる。まさしくそんな気持ち。