退院までの3日間

●14日

6時過ぎ、部屋の照明がつく。

朝食はまだ食べられないが、水分はとっていいということで、少し水を飲んでみる。

歯磨きをさせてもらえるとのことで、手術後初の、ベッドを起こしてもらい、磨いてみる。気分が少しすっきりした。

 

 

1日寝ていただけなのに、歯磨きのために少し身体を起こしただけで気持ち悪い。また横になる。点滴の管もおしっこの管もついたまま。気分的に下がっているのかもしれない。

 

 

10時過ぎ。「ちょっと歩くのチャレンジしましょうか」とやってきた看護師さん。昨日の夜の看護師さんと同じくらい天使の風貌。

 

 

早く管を取りたい一心なのに身体を起こそうとするも、どこに力を入れていいのかわからず、ベッド横にそなわっている落下防止用の柵を支えに必死に起き上がろうとする。傷のあたりがなんとも言えない感触。

 

 

痛み止めの点滴のせいか痛いというより、「普段、起き上がるにはこんなにあちこち使っていたのか」という感覚。

 

 

身体が起こせた。座る体制になると、おしっこの管がまたまた気持ち悪い。「なるべく足元は見ないように前向いてあるきましょうね」と言われ、片手には点滴がぶら下がった棒を杖がわりに、おしっこの袋を看護師さんに持ってもらい、(この存在を忘れて歩き出したら引っ張られてそれこそ一大事!)準備完了。

 

 

立ってみると、ふらつきはなくいけそうな感じがする。一歩踏み出す。(あちこち使って歩いてたことまた実感)ものすごく足全体が重い。片足づつ体重をかけることにもたった一日で不慣れになっていて、ものすごいスロー。だけど歩けた。

 

なにかあった時にはと、イスをもって私を先導してくれてる看護師さんも「歩けてますね、いけそうですね」と声援を送ってくれる。

 

 

とにかくトイレまで行って、部屋まで帰らなければおしっこの管はとってもらえないので、どんなにゆっくりでもいいから歩いてみた。

 

 

この時の姿はひどかったと推測する。傷の上にパジャマのゴム部分があたるのが嫌で、割と下の方までずらしてあったし、髪の毛は酸素マスク着用時の汗と、夜中の間身体を動かしていたことで生じた枕との摩擦でかなり激しくからまっていた。ただ、鏡に映しだされていないので、そのひどさは今となってはわからない。それが救いである。

 

 

ベッドに無事到着。おしっこの管ははれてはずしてもらうことができた。

 

 

一安心後は周りにも目を向ける余裕が少し出てきて、冷蔵庫に目をやる。電源がOFFになっている、、。カード式で24時間使用200円のこの冷蔵庫。24時間後勝手に電源が切れるシステムだった。

 

 

中には、手術日の前日に母が持ってきたイチゴが入っていた。あわてるも自分の力ではその扉を開けることもできず、看護師さんに中を開けてもらうと、「ぷわ~」とイチゴの匂いがした。「私食べられれそうにないので、よかったら食べてください」と看護師さんに聞いてみるも、「・・・・」という感じだった。

 

 

入院時手渡されたパンフレットに患者からのもらい物は一切NGと書いてあった。その前に、少しよれっとなったイチゴをなぜ食べると聞いてしまったのか、今は後悔している。

 

 

おしっこをしっかり出すのに水分を取るため、水を買ってきてくれるということで、鍵のかかった引き出しから財布を出すことになったが、この動作に思った以上に苦戦する。なんとか財布を取り出したてみるも、小銭を出すなどの動作が億劫だったので、財布ごと渡してみると、本人の手からでないと受け取れないということで、なかなか徹底してる。

 

 

お水が届き、今度は身体もふいてもらえるということで、がっしりした看護師さんがやってくる。背中や腕をふき、持ってきていた自身のパンツにはきかえさせてくれた。

 

 

シーツ交換もということだったが、立って待っているのはまだできそうにないので、夕方くらいにとお願いした。

 

 

さて、ひと段落してほっとしている中、私たちの部屋の入口付近で、ベテラン(らしい)看護師さんに、新米(らしい)の看護師さんが注意を受けているのが聞こえてくる。

 

 

時々飲食店などで、お客さんの方にまで聞こえる感じで見習いを注意したりするが、これはどんな状況であれ良くないと思う。後でナースステーションにでも戻った時でいいと思う。

 

 

仮にも、私たちは今、入院するという、特に体調が万全ではない状態であって、健康な時にも聞いてもいい気持ちのしないことは、よけいに聞きたくない時である。配慮にかける出来事である

 

 

お昼からは食事も再開ということで、ごはんがおかゆである以外はおかずは他の人と全く同じ献立。昨日の夜、あんなにお腹がきゅるきゅるいっていたにも関わらず手がでない。おかゆも2,3口食べて無理だった。食に対して、「食べられない、無理」という感覚は久々のことだったと思う。

 

 

しばらくすると、最後の点滴も終わりすべての管がはずされた。何という解放感。管がささっているというだけで、気持ちが「病」になってしまう気がする。

 

 

私の隣の妊婦さんも、その向かいの妊婦さんも、入院して以来ずっと点滴をしているようで、1週間ほどで血管がだめになって、別の血管にさしかえるというのを繰り返している。本当に、大変である。

 

 

点滴終了と同時に、看護師さんより「これから夜にかけて痛みとの戦いになるかもしれないです」とびびらされる。なんでも、夜からは錠剤になるのだが、これまで点滴として血管に直接入っていた痛み止めと、錠剤での痛み止めでは点滴の方が数段効きがいいということだ。

 

 

気持ちでビビらされたからか、2時を過ぎたあたりからしくしくと内部の痛みが気になりだし、かなり心に余裕のない状況になってくる。

 

 

そんな時に限ってという話はよくあるが、私の場合もそんな時に限ってだった。この日はめずらしく来客が多い日だった。皆さまそれぞれの親族の方々で、久しぶりの面会でつもる話もあって・・・割合と大きな声でしゃべっている(涙)。

 

しかも、隣のおばあさんに面会の娘さん。この日曜日から韓国に旅行だったとかで、土産話に花がさいている。

 

 

だんだん鈍痛が結構つらくなり、初。ナースコール押してみる。痛いと言っても当然のことなので、仕方ないとわかりつつも押してしまった。座薬もあるとのことでを入れるかどうしようかと悩む。そこへ研修医がやってきた。

 

 

ちょっと森山未来に似ていた。(といってもマスクで顔の大半は隠れているので、目のあたりだけかも・・)こんなことを考える余裕はあったのだな~と後で思う。

 

触診の後、「お腹の中を切ったり縫ったりしてますから、痛みは仕方のないものなので、なんとかこらえてください」と、もっともなことを言われる。

 

 

そうなんですけど、痛いんです。といいたかったけど、ものすごく丁寧に説明されたので、なんとかしばらくこらえることにする。(とても高機能な)パラマウントベッドの頭の部分を少し起こすと少し楽になったので、しばらくそのままいると、母が来てくれた。

 

 

ほんの少し話して、洗濯ものを持って帰ってくれた。たぶん滞在時間は15分もなかったように思う。母も相変わらず、体調がよくなさそうだったが訪問はありがたかった。私が好きな‘レオニダス’のチョコを持ってきてくれた。

 

 

大好きなチョコだったが、さすがにこの時は全然食べたい気分になれなかった。

叔母が入院初日に持ってきてくれたモロゾフのチョコの詰め合わせもまだ少し残っている。

 

 

夕飯。

おかゆとボリュームたっぷりのおかずたち・・・・。「食べたい」という気持ちがはたらくも、胃が受け付けない感じ。おかゆを10回ほど箸ですくって食べてみる。(食後の錠剤服用のため仕方なくといった感じ。痛み止めで結構きつい薬ロキソニンを飲むことだし)

 

 

ほとんど食べられなかった晩御飯だったけど、妊婦さんたちにとっては、どうもこの日のメニューは食べたりない様子。「なんか甘いもの食べたい」と会話がはずんでいたので、これを機に話しかけてみる。「チョコよかったら食べませんか?」「いただきます☆」ということで、立ち上がるのが辛い私にかわって、腕に点滴をさしたままの妊婦さんの一人が取りにきてくれた。

 

 

食べ物に制限とかあるのかと思って遠慮していたけど、こんなことならもう少し早く聞いたらよかった。そうすれば、食事中色々お話できたのに。

 

 

きっかけができたので、手術した夜、「うんうん」うなって身体を動かしていたのがご迷惑ではなかったか聞いてみると、一人の妊婦さんいわく、この部屋にやってくる大体の人は子宮筋腫の手術の人で、入院→手術→退院と一週間ほどのクールだということだった。

 

 

そういえば、斜め向かいの私が入院した日に手術をした人も、お昼すぎに退院していった。

ちょうど手術をして3日目のお昼に退院して行かれた。その方は手術翌日の最初の歩行時はつらそうだったが、この日、退院直前には、普段と変わらないような歩き方で1階のコンビニまで飲むヨーグルト買いに行ってた。

 

 

私も明後日あそこまで回復するのか想像がつかない。

 

 

食後、あかあかと光る天井の照明を回避するには、どの体制が一番いいか色々やってみて発見。

 

足の方のリクライニング機能を上げて反対向きに寝てみたら、光も顔に直撃しなくて以外と心地良しで少しうとうとできた。

 

どれくらいだったか、なんとなく胃が気持ち悪くて目が覚める。

 

 

薬が効いてきたのかもしれないし、しばらく身体を起こして正座して様子をみる。

→胃の部分を伸ばしたせいかましになる。

 

 

再び足の方を頭に寝てみると、さっきまであんなに心地よかったはずのこの向きが、耐え難いほど気持ち悪く、リクライニングを元の平な状態へ戻してもう一度寝てみたが、頭の部分が身体より下がっているような感覚になり、気持ち悪さが倍増。

 

 

結局、元の枕があった方に頭をもっていき、上半身が起き上がるほどに高さをつけて消灯時間までそのままいた。

 

 

やっと消灯時間になり、部屋が真っ暗になると気持ち悪さもなくなって楽になる。寝る前に、トイレは行っておこうと、歩く練習も兼ねて、廊下を少し遠回りしてみる。トイレはこれ以外に2回ほど、ものすごいスローペースでいくことができた。

昼間のトイレからの帰り、ベットに座っていた私の隣にいるおばあさんと目があってお互い笑顔になる。「元気になりはってんね」と声をかけてもらう。

 

 

おしっこについて。管が入っていたのが原因か、終わりかけに変な音がする。看護師さんに聞いてみるも、原因が何であるかはわからなかったが、これとは別に、まだ管がついていた朝方、おしっこに血が混じっていたことを教えてもらう。一晩中身体を横に向けたり色々と動かしていたので、管の先が膀胱内部を傷つけている可能性もあるとのことだったが、時間とともによくなると言われ安心する。

 

 

トイレから戻り、少し横むきになってみた。

ベッドにわずかな高さをつけた状態での横向きだったが、以外によかったのか、かなりの時間眠る。

 

 

思い返せば、昨日の手術が終わって部屋に戻ってきてから、

今日の消灯時間(21時半)まで30時間以上寝てないのだから疲れていたはずである。

 

 

この日も同室の半分の方々がいびきをかいている^^;面白いことに3人が同時に「かく」のではなく、一人がかきだして、少し落ち着くと、別のいびき。いびきの輪唱は途中止まったりしながら朝まで続く。

 

 

 

●15日 

朝の電気で目が覚める。無事寝られたことで、また一歩前進したよう。

 

朝食は半分ほど食べる。昼も半分ほど。そして夜は完食成功。少し無理したけど、明日は退院することになるので、気合をいれる意味でも、本日中に出されたものは完食できるところまでもっていきたかった。

 

 

お昼過ぎ、術後初めてのシャワーもする。

脱衣場でイスに座りゆっくり着替えをすませ、絆創膏が貼られている部分を確認。血がにじんでいたが、この絆創膏は1、2週間は貼りっぱなしだそうで、めくれてくることがあったら貼り直すらしい。

 

最近の傷治療というのは、昔のように乾燥させて治すのではなく、空気に触れさせないようにして治すということだ。

 

 

前かがみで髪を洗う姿勢が結構つらく、シャンプーのみで終了。身体もゆっくりしか洗えず30分の利用時間ぎりぎり。シャワー時間が終わってから、なぜ母が来てくれる時間帯に合わせてシャワー予約をしなかったのかと後悔(汗;)。

 

 

夕方少しまえにK先生が様子を見にやってきて、術後の診察。K先生のエコーのあて方は本当に痛みがなくやさしかった。「痛いですか?」といわれたが、全然痛くなかった。それよりも、診察のあとに看護師さんが、お腹についたジェルを勢いをつけて右から左に拭き取った時の方が激痛だった。

 

 

診察の結果、やはり明日退院ということになる。(事前に聞いてはいたけど、本当に、術後3日目に退院ということに驚く。)

 

 

気持ちに少し余裕ができたのか、手術後初めてテレビをつけてみたが、画面が小さくて酔う。1000円のカードを購入したけど、(テレビ1時間マイナス50)、まだ560くらい残ってる。

 

 

この日は、みみせんを付けて就寝。よく眠れた。

 

 

 

●16日

熟睡からの起床。

朝は6時に部屋の電気がつくが、この日はなぜか6時半すぎ。昨日も10時半くらいまで部屋の電気がついていた。

 

これには事情があったらしく、ちょうど空になっていたベッドに、帝王切開を終えた妊婦さんがやってくるからだった。少し危険な状態だったことと、予定時間を超えての出産で、部屋にいる他の妊婦さんたちも、かなり気にしている様子だった。

 

手術(出産)を終えて傷口も相当痛いだろうなぁと思って様子をうかがっていると、看護師さんから、「明日の午前中には歩く練習をしましょうね」と声かけされていた。大きくお腹切っていて、私より数倍痛みがあるだろうに、翌日から歩くなんて。

 

 

少し前まで手術後といえば絶対安静だったはず。方針が180度も変わってる。医療ってほんとに日々進歩とあらためて感じる。

 

 

朝ごはんが終わり、少しテレビをつけてみる。横になってテレビを見る習慣が無いせいか、

15分も経たずに画面に酔う。まだ500以上残ってる・・・・向かいの妊婦さんはもう少し居るとのことだったので、プレゼントした。

 

 

K先生とS先生「様子どうですか~」とやってくる。「まだ少し中がしくしく痛むのですが・・・」というと、S先生、「切ってたらもっといたかった」とびびらされる。

 

先生、この部屋には私の横の妊婦さん含め、帝王切開で生むと決まっている方々がいらっしゃるのですから、そういうびびらせる発言はしないほうが・・と思いながら、お昼には退院していいとのことだった。もう一日くらいいてもいいような気はしたけど。

 

 

午後には退院ということで、手術以来病棟の扉より外の廊下に一回も出ていないし、散歩も兼ねて少し歩いてみることにする。

 

 

入院する部屋がある病棟と、外来の患者さんが利用する病棟は同じ建物だが、扉で区切られている。入る時なにげなく開けていた扉も、今の私にはとても重い。かなりのスローペースで廊下へ出て歩きはじめる。

 

廊下には、これから手術をする人やその家族が、麻酔科での説明を受けるためにイスに座ってまっている。その前をゆっくり歩いていると、私のスローペースな歩く姿にものすごく視線を感じた、。

 

 

私は私で、これから手術を受けられるみなさんに心の中でエールを送ってみる。

 

 

昼ごろ両親が迎えにきてくれ、病院からの昼食は出ないということで、コンビニのおにぎりを買ってきてもらったが、病院のごはんの方が断然おいしかった。

 

 

食べ終わり、同室のみなさんにあいさつする。となりのおばあさんも午後には退院予定ということで、「お先です」と声かけ。病棟の扉をでると少し空気感が違って爽やかというか、空気が流れている感じ。エレベーターに乗って玄関のある階へ。

 

 

さらに、外気を感じる。病室は常に25度くらいはあったので、少し肌寒い。朝清掃の人が、

「今日は朝めちゃくちゃ寒かったけど、お昼はものすごく暑かった」とか、「今日はすごい寒いよ」とか言ってくれることで天気を感じていたけど、今は自身でものすごく季節を感じる。

 

健康で自由に動きまわれるというのは、幸せなことだとあらためて感じた瞬間。

 

 

帰り道。父の運転する車。身体を気遣って運転してくれてとてもありがたかったが、手術後3日の身体には道路のでこぼこによる振動が辛い。高速の道路のつなぎ目はかなりの振動で、割と短い間隔であるから結構大変。

 

 

無事家に到着。家はリビングが2階にあるので、最初の階段の第一歩。病院では手術後一回も階段を上り下りすることがなかった。ものすごく下腹を使ってる感じ。

 

よく筋肉痛で駅の階段を上り下りする時に太ももなどが激痛で、普段いかに自分の意思と関係ないところであちこち筋肉を使っているか実感するように、この時も下腹を使っていたことを実感。

 

 

病院を出る前におにぎりとお味噌汁を食べていたけど、食欲あり。巻寿司を食べる。